情報提供: ディスカバーたいはく5号
 所在地: 仙台市宮城野区名掛丁 藤村広場
 連絡先: 太白区まちづくり推進協議会
 関連ホームページ: http://www.city.sendai.jp/taihaku/mati/discover/index.html

261 島崎藤村(しまざきとうそん)の詩碑

八木山の詩碑を訪れた藤村夫妻(昭和十二(一九三七)年)(「思い出のアルバム仙台」より)
八木山の詩碑を訪れた藤村夫妻
(昭和十二(一九三七)年)
(「思い出のアルバム仙台」より)

島崎藤村詩碑(藤村広場)
島崎藤村詩碑
(藤村広場)

心の宿の宮城野よ
乱れて熱き吾身には
日影も薄く草枯れて
荒れたる野こそうれしけれ
ひとりさみしき吾耳は
吹く北風を琴と聴き
悲しみ深き吾目には
色彩(いろ)なき石も花と見き

島崎藤村
年若き日の思い出に旧詩草枕の一節を志るす



 昭和十一(一九三六)年、島崎藤村の「草枕の詩碑」が現八木山動物公園内に建てられたが、昭和四十二年仙台城天守台に移され、その後平成十九年仙台市宮城野区名掛丁の藤村広場に移された。

 島崎藤村(一八七二〜一九四三)は、長野県木曽馬篭で生まれた。上京して英語を学びキリスト信徒となる。
 明治二十九年(一八九六)九月、東北学院の作文と英訳の教師として仙台に赴任、八幡町、片平丁付近に下宿し、学生に教え、詩作しては「東北文学」に寄稿した。
 翌年七月に仙台を離れているが、自身「仙臺は青年時代の記憶のあるところ、そこで送った一年は自分の生涯の中でも最も忘れがたい月日の一つであり、その感銘は長く自分の内に續いている」と書いている(『仙臺の二日』)。「草枕」の詩は、この仙台時代に書いたものである。
 明治三十年(一八九七)には日本近代詩の最初の詩集といわれる「若菜集」を発表、明治三十九年(一九〇六)には日本の自然主義文学といわれる「破戒」を発表するなど、その後の活躍は、文学史に記されるとおりである。

   


前の項目へ 次の項目へ