情報提供: ディスカバーたいはく5号
 所在地: 仙台市太白区門前町8−2
 連絡先: 太白区まちづくり推進協議会
 関連ホームページ: http://www.city.sendai.jp/taihaku/mati/discover/index.html

257 伊達南谷子(だてなんこくし)の川柳句碑と根岸小唄碑

伊達南谷子(南谷山福聚院所蔵)
伊達南谷子
(南谷山福聚院所蔵)

根岸小唄碑(南谷山福聚院鐘楼堂前)昭和六十年(一九八五)五月建立
根岸小唄碑
(南谷山福聚院鐘楼堂前)
昭和六十年(一九八五)五月建立

根岸小唄

一、 今日はお祭り
   お薬師さまよ
   朝からきこえる
   笛 太鼓
   トントンチリチリ
   トンカラコ
   ネンネン根岸は
   よいところ
   ハァ よいところ
二、 そぞろあるきの
   畦みちこみち
   西浦たんぼに
   とぶホタル
三、 秋はもみじの
   大年寺山よ
   しのぶ昔の
   石の段
四、 松のみどりに
   しらゆき映えて
   お里じまんの
   かぶと塚

南谷子



 伊達南谷子(一九〇七〜一九七三)は、本名を清厚といい、明治四十年(一九〇七)三月当院で生まれた。第十五代住職で、川柳歴は昭和六年河北新報川柳欄に初投句。その後、河北川柳会の幹事として活躍する。昭和二十二年「川柳 宮城野」の刊行と同時に雑詠の選を担当、その指導に当たり、この時期に多くの秀吟を発表している。昭和三十年河北新報川柳欄の課題川柳の選者を担当し、昭和四十年「川柳宮城野」の副主幹となる。福聚院から大年寺の自然をこよなく愛し「根岸小唄」を作詞、これに佐藤長助が作曲、地域に普及した。
 人情に厚く、ひょうひょうとした言動は良寛和尚を彷彿とさせるものがあったという。
 昭和四十八年、川柳会に輝かしい足跡を残し六十四歳の生涯を閉じた。

   

伊達南谷子川柳句碑(南谷山福聚院本堂左手)昭和四十四年(一九六九)七月建立
伊達南谷子川柳句碑
(南谷山福聚院本堂左手)
昭和四十四年(一九六九)七月建立

いい雨が石の上にも降っている

南谷子


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