情報提供: ディスカバーたいはく3号
 所在地: 仙台市太白区茂庭
 連絡先: 太白区まちづくり推進協議会
 関連ホームページ: http://www.city.sendai.jp/taihaku/mati/discover/index.html

223 八幡講の由来

 昔、茂庭にこんな悲しい出来事がありました。それは、明治三十年の旧十二月十日、当時お正月が来ると塩鮭を馬に積んで、茂庭から碁石、川崎、笹谷を通って山形に運搬していました。
 この日も若者三人が夜半に厩で三頭の馬に荷を積み山形めざして出発しましたが、厩に提灯を忘れてしまったのです。
 碁石の峠にさしかかった時、東の空が真っ赤になっているのを見ました。厩の主であった若者の一人は厩に提灯を忘れたことに気がつき、これは一大事と馬を引き返し馬尾坂の峠に戻ったときは、茂庭の町は火の海と化して町の半数、下町の方が焼失してしまったのです。
 ところが、明治三十一年四月十三日、某家の厩と某家の木小屋の二ケ所から同時に出火して、今度は町の上の方が全部焼失してしまいましたが、不思議なことに生出森八幡神社(里宮)と小農家一軒だけ残りました。

 このように二度も続いた火災のために、茂庭の町の人たちは田や畑を売り払って再興をはかりました。そこで再びこのような惨事に遇わないようにと、旧暦の十二月十日と四月十三日を後で新暦に改め、御縁日と定めて生出森八幡神社の神々に茂庭の町を火災から守ってもらうために祈願する御講を作りました。これが八幡講の由来です。

   


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