情報提供: ディスカバーたいはく3号
 所在地: 仙台市太白区茂庭
 連絡先: 太白区まちづくり推進協議会
 関連ホームページ: http://www.city.sendai.jp/taihaku/mati/discover/index.html

213 生出が森(太白山)

生出が森(太白山)
 昔、茂庭の村にオトアという美しい娘が住んでいた。ある晩のこと、夜中にオトアが厠に起きたところ、ゴーッという地鳴りのような音が聞こえてきた。オトアは不思議に思って、その音のする方を見たら何と目の前で大きな石や黒い土のかたまりがむくむくと夜の空に向かって盛り上がっているところだった。大きな石や黒い土のかたまりは首でも振るように低い地鳴りをさせながら、どんどん盛り上がって小さな山からだんだん大きな山になっていった。オトアは吃驚して思わず
「あれえっ、とんがった山になっていくー」
と、大きな声を出してしまった。美しいオトアの声にびっくりした山は、恥ずかしくなったのかむくむく盛り上がっていくのをぴたっとやめてしまった。
 ちょうど、オトアに見られた山がむくむく盛り上がっていた時、志田郡の鹿島台辺りがへこんでしまった。そこが品井沼だということだ。
 生出が森は、駿河(静岡県)の富士山と同じころに出来た山なので、このことを聞いた村人たちは「もしも、オトアに見られなかったら、富士山よりもっともっと高い山になったのに」といって残念がったそうだ。
 太白山は、一晩のうちに生い出たので「生出が森」と呼ばれるようになった。また、娘の名にちなんで「オトア森」ともいわれている。


烏兎ケ森(うとけもり)
 大昔、この地に住んでいた人達は太白山のことを烏兎ケ森と呼んでいたという。烏兎ケ森の(烏)カラスは「日」(兎)ウサギは「月」のことで「日月峰」という神秘な山として、崇拝していたと伝えられている。


生出村の誕生
 茂庭は、文治の役で手柄をたてた河村四郎秀清が守護職として支配していた所であった。明治二十二年町村制施行の際、茂庭と坪沼の二つの村を合併して一夜で生まれ出たという太白山の別称である「生出が森」の山名を取り入れ「生出村」となった。

   


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