情報提供: ディスカバーたいはく5号
 所在地: 仙台市太白区茂ケ崎2丁目
 連絡先: 太白区まちづくり推進協議会
 関連ホームページ: http://www.city.sendai.jp/taihaku/mati/discover/index.html

205 阿部みどり女(あべみどりじょ)の句碑

阿部みどり女
阿部みどり女

阿部みどり女句碑(茂ケ崎 仙台放送小公園)昭和五十六年(一九八一)建立
阿部みどり女句碑
(茂ケ崎 仙台放送小公園)
昭和五十六年(一九八一)建立

重陽の
夕焼けに逢ふ
幾たりか

みどり女



 阿部みどり女(一八八六〜一九八〇)は、本名光子、北海道札幌市で生まれ、父永山武四郎は、二代目道長官として知られている。
 鎌倉で「ホトトギス」に投句し大正四年に初入選、その後、高浜虚子に師事する。昭和六年長女多美子は、河北新報社三代社長一力五郎(俳号・杜野光)と結婚している。
 昭和七年、河北俳壇投句者を核として主宰誌「駒草」を創刊、東北、関東を中心に誌友の数を伸ばす。
 昭和二十二年五郎が急逝し、多美子一家は東京へ移り、みどり女は一人仙台に残った。しかし、東京へ移った多美子は五十八歳で亡くなり、みどり女はその悲しみを胸にひたむきに俳句活動を続ける。
 仙台には昭和五十三年まで暮らし、後、東京にいる多美子の長男一力健のもとに身を寄せ、亡くなるまで俳句を詠み続けた。
 句集「笹鳴」「微風」が発行されており、茂庭の大梅寺を詠んだ句も収録されている。

六軒の檀家持つ寺柿を干す
山清水落葉の上を流れけり
蕃山へ登る口あり冬の寺

   


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