情報提供: ディスカバーたいはく1号
 所在地: 太白区茂ケ崎1丁目1
 連絡先: 太白区まちづくり推進協議会
 関連ホームページ: http://www.city.sendai.jp/taihaku/mati/discover/index.html

201 大年寺山

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四季折々の草花が楽しめる野草園
四季折々の草花が楽しめる野草園

粟野氏の居城・茂ケ崎城跡の標柱が立つ(大年寺山)
粟野氏の居城・茂ケ崎城跡の標柱が立つ
(大年寺山)

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 仙台駅から五橋を抜け、八木山方面へ向かう。愛宕大橋を渡ると、すぐに太白区。まもなく右手に、大年寺山が見えてくる。
 別名、野出口山。室町時代には名取郡を領知していた粟野重直の居城があったという。東麓の宗禅寺には、名取郡三十三郷の旗頭・粟野大膳の供養碑が立っている。 

 現在の大年寺山周辺は、住宅やオフィスが混在する地域。周囲を取り巻く道路は、人と車でにぎわう。しかし、一歩入れば、木々の緑に囲まれた別世界。都心の貴重な緑地として、地域に潤いを与えている。
 なかでも野草園は、市民の憩いの場として愛されてきた。園内には、モミやクリ、コナラの大木が繁茂し、アヤメやミズバショウ、ハギなど四季折々の草花が咲き誇る。色鮮やかな春の息吹き、緑萌える夏の躍動、心にしみる錦秋の美しさ。そこでは、都会に住む者が忘れがちな、自然の胎動を感じることができる。

 大年寺山の標高は百メートル余り。八世紀前後には、郡山にあった官衙(役所)に働く官人や僧侶の墓地としても利用されていたという。
 正式に大年寺山と呼ばれるようになったのは、江戸時代、伊達綱村が両足山大年寺を創建してから。寺はすでに消失し、惣門と石段が残るのみだが、伊達家四代藩主以降の霊域としても知られる。
 大年寺山は、地の利と秀麗なその姿から、いつの時代も、神聖な場所として大切にされてきた。

   


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