情報提供: ディスカバーたいはく5号
 所在地: 仙台市太白区向山4丁目17
 連絡先: 太白区まちづくり推進協議会
 関連ホームページ: http://www.city.sendai.jp/taihaku/mati/discover/index.html

191 石川善助(いしかわぜんすけ)の詩碑

石川善助
石川善助

石川善助詩碑(愛宕神社境内)昭和三十三年(一九五八)建立
石川善助詩碑(愛宕神社境内)
昭和三十三年(一九五八)建立

化石を拾ふ
光りの澱む切り通しのなかに
童子が化石を捜してゐた
黄赭の地層のあちらこちらに
白いうづくまる貝を掘り
遠い古世代の景色を夢み
遠い母なる匂ひを嗅いでゐた
・・・もう日は翳るよ
空に鴉は散らばるよ
 だのになほも探してゐる
探してゐる
外界(さきのよ)のこころを
生の始めを
 母を母を

石川善助



 詩人・石川善助(一九〇一〜一九三二)は、仙台市国分町芭蕉の辻に生まれた。家は代々「菅喜」という屋号をもつ小間物屋だったが、彼が仙台商業学校に入学した翌年破産。そのため卒業後十年ほど他の店で働く。
 その間、詩人たちと接触、同人誌「感触」を発行したり「北日本詩人」を創刊する。昭和三年上京、中央詩壇を目指し、草野心平、高村光太郎らと交友を深め詩作も認められるようになる。
 酒を相手にすることが多く、昭和七年六月二十七日、三十一歳の若さでこの世を去った。その最期は大森駅近くの線路を歩いているうちに側溝に転落、溺死状態であったという。発見されたときは死後十日を経過していた。
 没後、友人たちによって「鴉射亭(あしゃてい)随筆」、詩集「亜寒帯」、「石川善助童謡集」が発行されている。

   


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