情報提供: ディスカバーたいはく3号
 所在地: 仙台市太白区向山2丁目20−25
 連絡先: 太白区まちづくり推進協議会
 関連ホームページ: http://www.city.sendai.jp/taihaku/mati/discover/index.html

186 長徳寺と唐戸渕

唐戸渕(広瀬川)
唐戸渕(広瀬川)

 霊屋(おたまや)下にあった曹洞宗の長徳寺は瑞鳳殿造営の時、唐戸渕の崖の上に移されたもので、昔は霊屋下の御小人寺と呼ばれていた。
 二代藩主忠宗に仕えた茶坊主花見円阿弥は忠宗の後を追って万治元年(一六五八)八月五日に切腹したので、この寺に手厚く葬られ円阿弥塚が築かれたが、江戸時代末期に崖が崩れて今はない。
 長徳寺には、大間々(群馬県)から来て仙台藩の負債整理をした松居栄蔵の墓と三十三間堂の創始者で有名な平塚重次の供養塔もこの寺にある。

 唐戸渕の向い河原は寛文六年(一六六六)から元禄二年までの二十三年間御仕置場のあった所で、伊達騒動の禍根を断とうとして捕らえられた伊東七十郎重孝は、寛文八年四月二十八日ここで斬首されている。
 そのとき重孝は処刑にあたった首切役人小人頭大橋万右衛門に
「首が落ちた時、仰向けに倒れたら兵部殿を三年の内に亡きものにして見せよう」
といった。
 万右衛門は役目柄とはいえ惜しい侍だと思ったのでなかなか首を切り落とすことが出来なかった。
 重孝の予言が的中して兵部が土佐へ流されたのは三年後だった。
 大橋万右衛門は阿弥陀寺(新寺三丁目)に地蔵尊を建て重孝の霊を弔った。

   


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