情報提供: ディスカバーたいはく5号
 所在地: 仙台市太白区根岸町3−10
 連絡先: 太白区まちづくり推進協議会
 関連ホームページ: http://www.city.sendai.jp/taihaku/mati/discover/index.html

164 二口峠の開発 大竹徳治(おおたけとくじ)

現在の二口峠
現在の二口峠

 仙山線が作並街道を通り、関山、笹谷にトンネルができ、国道二八六号線も現在では秋保大滝までの道になってしまいましたが、それまでは仙台と山形とを結ぶ最短の道は二口街道でした。
 明治初め、この二口街道を改修、開発したのが大竹徳治です。
  仙台・山形間の最短の二口街道は藩政時代には二口番所が置かれていたとはいえ、馬の通行や荷物の運搬に困難を極める難所であった。
 明治五年(一八七二)、根岸の大竹徳治と河原町の若生儀兵衛の二人は「両国物産運輸ノ利ノ為メ一時自費ヲ以テ牛馬通行」の便を図るため、巨費(九百五拾二円)を投じて二口峠・野尻間一千四百七十二間の改修工事に着手。渓谷を埋めて直線の新道を切り開いたり、七ケ所に橋を架けるなど、人夫は延べ九百八十余人、九ケ月に及ぶ難工事をやりとげ、二口峠に有料道路を開いた。
 明治六年に徳治が亡くなるとともに、二口街道の開発は子息大竹左右吉(一八五二〜一九〇九)に引き継がれた。

 しかし、このようにして完成した二口峠越えも、明治十五年に明治のビッグプロジェクトの一つであった旧関山トンネルの開通によって急速にさびれた。

   


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