情報提供: ディスカバーたいはく3号
 所在地: 仙台市太白区根岸町
 連絡先: 太白区まちづくり推進協議会
 関連ホームページ: http://www.city.sendai.jp/taihaku/mati/discover/index.html

158 鎧淵

宮沢橋と古戦場跡・鎧淵。奥州合戦の舞台となった
宮沢橋と古戦場跡・鎧淵。
奥州合戦の舞台となった

 鎌倉時代の文治五年(一一八九)七月、源頼朝は鎌倉から大軍を率いて「奥の大道」を北進している。平泉の藤原泰衡を攻め滅ぼすためであった。
 泰衡軍は鞭館(むちたて)(榴岡)に陣を構えていた。大河太郎兼任は、広瀬川の鎧淵(根岸)を前線として川岸に乱杭を打ち、川底には大網を張り巡らして防塁を築き鎌倉の軍勢の進撃を防ぐ作戦であった。名取川を越えた鎌倉勢は、茂ケ崎山の麓を目指して進んだものと思われる。鎌倉勢は根岸から広瀬川の渡河作戦を敢行した。

 鎧淵の激戦で活躍した兼任は急いで鞭館の泰衡軍に合流しようと馬に跨がり川に乗り入れた途端、馬が川底の大網に脚をとられてしまい小栗重氏の矢に当たって討ち死にしたといわれている。

 現在、古戦場だった鎧淵(宮沢橋南側下流)は護岸工事が行われたため往時の面影を偲ぶことは出来ない。

   


前の項目へ 次の項目へ