情報提供: ディスカバーたいはく1号 | ![]() |
所在地: 仙台市太白区長町南4丁目3−1 | |
連絡先: 太白区まちづくり推進協議会 | 電話: 022-247-1111 |
関連ホームページ: http://www.city.sendai.jp/taihaku/mati/discover/index.html |
146 富沢遺跡 |
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富沢遺跡は、広瀬川や名取川・笊川によって形成された沖積平野の中にあり、地下鉄建設に伴う試掘調査を機に発見された。その範囲は、鹿野・長町・長町南・泉崎・富沢の各地に及び、約九十ヘクタールもの広さに及ぶ。 出土したのは地表から順に、「中世から近世にかけての水田跡」「奈良・平安時代の水田跡」「古墳時代の水田跡」「弥生時代の水田跡と木製農耕具」「旧石器時代の樹木と石器群」など。二万年以上の昔から太白の地で営まれていた先人たちの暮らしが、遺構や出土品から明らかになっている。 旧石器時代の遺物に世界が注目 百二十次を超える調査を重ねた富沢遺跡からは、世界の注目を集める貴重な遺物が多数見つかっている。なかでも重要なのは、地表下五メートルの地層で発見された後期旧石器時代の文化層。火を焚いた跡や石器、樹木、昆虫の遺体、動物のフンなど、自然環境や暮らしを伝える遺物が掘り出された。それらはおよそ、二万年前のものである。そのころの地球は最終氷河期で、平均気温は現在よりも七〜八度低く、最寒冷期にあたっていたといわれる。 遺跡から出土した樹木は、トウヒやグイマツなどの針葉樹が多く、わずかにシラカバなどの広葉樹が混じっていた。この周辺は、針葉樹を中心とした湿地林が広がっていたのだろう。また、フンからは、シカの仲間が生息していたことが分かっており、越冬地だったとの推測もある。 さらに、火を焚いた跡やその周辺で見つかった百を超える石器から、森の中で暮らす人間の姿が浮かんでくるなど、旧石器時代の人間と自然環境を具体的に伝える、世界に例のない遺跡として、注目を集めることになったのである。 弥生時代以降の水田跡が出土 それより以前、富沢遺跡からは、弥生時代から近世に至る水田跡のほか、中・近世の居城跡や縄文時代の遺構・遺物などが発見されている。 それらの中でも興味深いのは、弥生時代の水田跡。中期から後期にかけて、六期程度の変遷が認められている。この水田は、大あぜによって大きな区画を作り、その中を小あぜが小さく分割するもので、場所や広がりは、各期によって異なっている。 この時代、周辺はヨシなどが生い茂る広大な湿地が広がっていた。当時の人々は、条件の良い場所を選んで水田を営んでいたが、自然条件の変化などによって、場所を移していったのではないかと考えられている。 遺跡からはそのほか、木製の鋤や鍬、稲の穂摘み用の石包丁など、当時の農耕技術を知ることができる遺物も発見された。弥生時代の東北の稲作文化を知る貴重な手掛かりとなっている。 |
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