情報提供: ディスカバーたいはく5号
 所在地: 仙台市太白区長町1丁目
 連絡先: 太白区まちづくり推進協議会
 関連ホームページ: http://www.city.sendai.jp/taihaku/mati/discover/index.html

139 長町青果市場

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明治時代の長町青果市場(「グラフ仙台」より)
明治時代の長町青果市場
(「グラフ仙台」より)

賑わいがあった長町青果市場(「グラフ仙台」より)
賑わいがあった長町青果市場
(「グラフ仙台」より)

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 長町青果市場は、明治二十五年(一八九二)六月二十五日長町北町六十三番地内(現、長町商店街フラワー通大竹茶舗辺)に開設された。
 この土地建物は地元の阿部太平が寄付したもので、中田村、茂ケ崎村、西多賀村、六郷村、増田村の五ケ村から代表者を出して運営、自由取引を原則としていた。
 やがて今野治三郎、佐藤常治らも加わって販売の周旋の労を取るようになり、仲買を正業(青果問屋)とするようになった。

 市場は、東北本線長町駅の設置によって青果物の集散地としての機能を拡大。昭和三年(一九二八)長町が仙台市に合併され、昭和十一年(一九三六)末に仙台市電が長町まで延長されると、さらに発展した。取り扱い高が伸びるにつれ県外からさつまいもや玉葱を置く問屋も現れている。

 地場野菜の出荷能力の増大とともに県外出荷も盛んになり、長町市場を通した仙台物産の名が高まった。例えば白菜は、東京、横浜、大阪、京都まで出荷され「仙台白菜」の名声を博し、ほうれん草は、東北六県をはじめ北海道まで出荷された。
 昭和二十四年(一九四九)、宮城県経済農業協同組合連合会(通称、経済連)は、長町の阿部、河原町の鴻巣両氏の土地を借り、経済連青果部・長町市場(通称、宮果長町市場)として営業を始める。

 昭和三十六年(一九六一)、仙台市中央卸売市場の新設によって宮果長町市場は長町分場として引き続き存続したが、中央卸売市場の開設から二年後の昭和三十八年(一九六三)十一月三十日、仙台市民の台所として市民の食生活を支えてきた歴史を閉じた。

   


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