情報提供: ディスカバーたいはく5号
 所在地: 仙台市太白区長町
 連絡先: 太白区まちづくり推進協議会
 関連ホームページ: http://www.city.sendai.jp/taihaku/mati/discover/index.html

137 長町

昭和の長町駅
昭和の長町駅

 慶長以来、長町は奥州街道の宿駅として、街道筋には旅篭や物資運搬の人足、駅馬などの宿駅施設が置かれ、江戸参勤の大名行列や行き交う旅人の往来で賑わったところです。
 明治になって名取郡役所が置かれ、明治二十二年(一八八九)町村制施行で北長町の根岸村と南長町の平岡村、郡山村を併せて名取郡茂ケ崎村になり、さらに大正四年(一九一五)の町制施行によって名取郡長町と改称、昭和三年(一九二八)仙台市に合併して今日に至っています。

 交通の面では、明治十年(一八七七)長町・岩沼間に乗合馬車が走り、明治二九年(一八九六)東北線の長町駅が営業を開始します。その後、秋保電鉄や市電、バスが運行され、昭和六十二年(一九八七)七月に地下鉄が開業しています。

 立地条件がよかったためか、明治二十三年(一八九〇)に伊勢煉瓦、大正時代に東北板紙、日本製粉、秋保石材、名取採礫、旭紡織などの民間企業が創業。
 昭和になってからも、東北金属、東北特殊鋼、東北ゴム、河北新報社印刷工場などの工場が次々と創設され、仙台でも工場の多い地域となりました。

 また、中田の農産物、閖上・荒浜の水産物、生出・秋保の林産物などが集散するため表通りには新鮮な野菜や鮮魚、生活用品を扱う商店が多く、庶民の町として多くの人々に親しまれてきました。
 交通網が発達するまで川を利用したり、馬車や馬そり、木炭車などで長町、中田、仙台市街へと運ばれました。

現在の木流堀(仙台南高校付近)
現在の木流堀(仙台南高校付近)

 なお、秋保で切り出された薪は名取川に流され、名取川と広瀬川を結ぶ木流堀に入り、現在の仙台南高校のあたりにあった木場で貯蔵されたのです。大正、昭和初期まで、そんな様子が見られたそうで、鹿野の「肉の相原」宅には薪をひっかけた鈎が残っています。
 仙台南高校前の花畑に木流堀の案内板が立てられており、木流堀は富沢周辺の農産物を運ぶためにも利用されたと書かれています。

   


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