情報提供: ディスカバーたいはく2号 | |
所在地: 仙台市太白区長町 | |
連絡先: 太白区まちづくり推進協議会 | 電話: 022-247-1111 |
関連ホームページ: http://www.city.sendai.jp/taihaku/mati/discover/index.html |
127 長町(奥州街道、二口・笹谷街道) |
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伊達政宗公が開いた中継地 奥州街道の宿駅として発展 伊達藩を南北に貫く奥州街道を整備したのは、藩祖伊達政宗公である。慶長十七年(一六一二年)には長町に宿駅を開き、江戸との往来や藩内の流通を担う中継点として機能させた。 当時、長町には旅籠が並び、旅人や物資運搬の人足たちが、にぎやかに行き交っていたと思われる。馬をつなぎ止めて休ませる宿駅の施設も整い、城下の南の出入り口として、重要な役割を果たしたことだろう。 中田からJR長町駅の前を通り、仙台駅方面へ向かう道路(国道四号)が、かつての奥州街道である。 長町駅から奥州街道を北に向かうと、まもなく笹谷街道の分岐点。長町三丁目付近に道標が建っている。そこから左へ曲がれば、長町小学校の前を通って山形方面へ。奥州街道と出羽街道を結ぶ笹谷街道はかつて、ここからスタートした。 今も残る馬の供養碑宿駅の面影を伝える 山形方面に向かう道は、もうひとつある。それが、二口街道。広瀬橋の南のたもとから、仙台南高校の裏手を通り、鹿野へと抜ける。二口街道は、奥州街道と最上街道を結ぶ脇街道で、現在の秋保の地を経て二口峠を越え、山形へと至る。まさに、太白区を代表する街道といえる。 笹谷街道も二口街道も、北赤石までは、ほぼ同じルート。北から来た人は広瀬橋のたもとから、南から来た人は長町三丁目あたりから西に折れ、その後、笹谷と二口に分かれたのだろう。現在の長町は、大きく姿を変えてしまったが、旅人の行き交う往時をしのべば、ロマンもふくらむ。 また、長町は、人や荷物が行き交う宿駅だっただけに、旅の安全を祈願する神社・仏閣、馬の供養碑なども数多い。蛸薬師の境内には、大町太物問屋中、京都飛脚中、江戸三度飛脚中と刻まれた馬頭観世音碑が今も残り、当時の宿駅の面影を伝えている。 長町地名考 長町という地名は宿駅の地域だけのもので仙台藩では町場と呼んだ。二代忠宗のころまでは永町と書いていたが、永町橋から諏訪まで十数丁にも及ぶため、長町というようになったといわれる。 |
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