情報提供: ディスカバーたいはく5号 | ![]() |
所在地: 仙台市太白区中田1丁目8−17 | |
連絡先: 太白区まちづくり推進協議会 | 電話: 022-247-1111 |
関連ホームページ: http://www.city.sendai.jp/taihaku/mati/discover/index.html |
126 甘藷翁 川村幸八(かわむらこうはち) |
|
毎年十月頃になると袋原幼稚園と東四郎丸小学校の学童農園で、サツマイモの収穫が行われ、野菜ぎらいの子供たちもホクホクのイモに顔をほころばせます。でも、なぜ袋原や東四郎丸でサツマイモなのでしょう? 実はこのサツマイモ、中田生まれの「甘藷翁」川村幸八が仙台に持ち込んだという歴史的な来歴があったのです。 |
川村幸八の家は農業のほかに、街道を行き交う旅人に家伝のソコマメの治療薬を売っていた。 ある時、長道中で足を痛めた下総の旅人に宿を提供した。旅人は何日か滞在し、そのお礼に畑を手伝う。旅人は 「中田の土質は下総(千葉県)と似ているから、私の故郷で作っている甘藷を栽培してみてはどうか」 と勧め、その栽培方法を教えた。 幸八は文化八年(一八一一)下総の旅人の家を訪ねて、甘藷の種芋を求めて帰り中田の地に植え、苦心の末やっと栽培に成功した。幸八のサツマイモ栽培は仙台領内では初めてのことであった。 |
|
幸八は、文久元年(一八六一)三月、鳥目一貫文(米十石相当)を添えて、藩主から賞詞を与えられた。 賞詞 名取郡北方中田村百姓 幸八 其身事四拾ケ年余以前名取郡江薩摩芋作出候根元ニ相聞得候所漸々ニ御国産 相ケ百姓共立之一端ニ茂相一段之事ニ候依之為御褒美鳥目壱貫文被下置候事 明治二年(一八六九)一月、八十二歳で没した。中田村の人たちは、サツマイモ栽培の端緒を開いた川村幸八翁の功績を伝えるため明治三十年(一八九七)十一月、宝泉寺の門前に「甘藷記念碑」を建立した。 甘藷栽培は今ではほとんど行われなくなっているが、記念碑がその業を伝えている。 |
|
前の項目へ | 次の項目へ |