情報提供: ディスカバーたいはく5号 | ![]() |
所在地: 仙台市太白区秋保町湯元字薬師28 | |
連絡先: 太白区まちづくり推進協議会 | 電話: 022-247-1111 |
関連ホームページ: http://www.city.sendai.jp/taihaku/mati/discover/index.html |
62 秋保温泉 佐藤勘三郎(さとうかんざぶろう) |
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藩政時代伊達家の湯治場であった秋保温泉が、庶民も利用できる温泉郷となったのは明治以後のことです。 秋保軌道や電気を引いたり、水道設備を整備したり、近代化に尽くした佐藤勘三郎らの努力があって、秋保温泉はいま、仙台の奥座敷として賑わっていると言えるのでしょう。 秋保湯元の楽寿園の碑文に、その功績が讃えられています。 |
佐藤勘三郎は、明治四十年村会議員に当選し、以後九期三十六年に亘って村政に関与、昭和二十一年には初代村会議長に選ばれている。 明治四十四年には郡会議員に当選し一期勤めている。同じ年学務委員に就任、学務委員制度が廃止される三十五年間、無欠席児童に毎年辞書を贈ったり、小学校に奉安殿を寄贈するなど教育の振興に貢献。大正六年(一九一七)から昭和二十一年(一九四六)にかけて湯元郵便局長の職にあった。 また村が貧困のどん底にあってどこの金融機関からも見放されていた頃に多額の寄付をした。晩年には、その寄付で奨学資金が設けられている。 何よりも、秋保温泉近代化への貢献は大きい。大正初年に秋保石材軌道(株)や秋保電気(株)が創立されると秋保村からただ一人その経営に参画し、秋保温泉への交通機関整備に尽力した。現在の湯元簡易水道は、当家の私有水道の水源地を村に寄付して拡充敷設されたものである。 そのほか社団法人日本温泉協会理事・全国旅館組合副会長を勤めた。 昭和三十七年二月没。享年八十六歳。 |
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