情報提供: ディスカバーたいはく4号
 所在地: 仙台市太白区秋保町
 連絡先: 太白区まちづくり推進協議会
 関連ホームページ: http://www.city.sendai.jp/taihaku/mati/discover/index.html

49 お粂(くめ)が淵(ふち)

 秋保の磊々峡のあたりを夕暮れの中、急ぐふたりがいた。
 女は十八、九、男は二十四、五にもなろうか。女は一目で町育ちのおぼこ娘とわかり、男はというと水もしたたるような男振り。お定まりの大店のお嬢さんと手代のかけおちのように見えた。

「新さん、わたし疲れちゃった」
という娘に、男は
「世話のやけるお嬢さんですね。湯治場はもうすぐですよ」
「新さんたら、またお嬢さんだなんて、お粂と呼んで・・・」
いかにも仲睦まじく見えるふたりだったが・・・
「ねえ、もう歩けないから、これを持って」
と帯の下にまいていた五十両を渡しながら、お粂はそばの石に腰を下ろす。この時だった。
「ハイ、ハイ」
といいながら、お粂が今まで決して肌身離さなかった五十両を手にして、もはやお粂に愛想が尽きていた新助の脳裏に、稲妻のように殺意が走った。
 金の切れ目が縁の切れ目。幽玄な淵の流れに見とれるお粂の背中をドン!
 あっと驚くお条は、十数メートルの崖をズルズルと
「新さん、私を殺すのね・・・」
という悲痛の叫びを残し、その体は深い淵へと。その時のお粂の形相といったら、何とも凄まじく鬼のようだった。
 ふと、われに返った新助は一目散にいずれかへと去った。

 それからというもの、夜な夜な、淵のそこからは
「新さん憎い・・・新さん憎い・・・」
とお粂の幽霊が浮かび上がってきたという。

 淵のしもに浮き上がってきたお粂の体についていた迷子札には「江戸浅草蔵前反物問屋喜兵衛の娘お粂」と記されていた。
 一方、新助のその後はというと、逃げ回っていたものの、足はいつしか磊々峡へと向かい、淵のかみの方に身を沈め、その死体はお粂が淵に流れ着いたということなそうな。

   


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