情報提供: ディスカバーたいはく5号
 所在地: 仙台市太白区
 連絡先: 太白区まちづくり推進協議会
 関連ホームページ: http://www.city.sendai.jp/taihaku/mati/discover/index.html

22 電化(秋保電鉄)

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秋保電鉄の始発となった長町駅
秋保電鉄の始発となった長町駅

電車マニアの関心を集めた秋保電鉄の機関車
電車マニアの関心を集めた秋保電鉄の機関車

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 大正十一年(一九二二)社名を秋保電気軌道に変更され全線の電化に着手、大正十四年(一九二五)に営業を始めた。このことによって長町〜秋保間の所要時間は一時間二十分、運賃は六十銭になり、長町・秋保温泉間を一日十往復するようになった。

 大正十五年(一九二六)会社は、旗立に私鉄が経営する遊園地をつくり県内の代表的行楽地として賑わった。当時としては規模も大きく太白山を背にした納溜池の周りには、運動場やブランコ、弓場、動物園、宿泊施設などが設けられ、水面ではボートや遊覧船が楽しめたようだ。昭和六年(一九三一)遊園地の施設は秋保湯元に移転する。
 秋保電鉄の輸送客は、電化後着実に増加している。電気軌道開業直後の大正十四年(一九二五)下半期には九万六千人だった利用客が昭和十八年(一九四三)下半期には六十万人と、当初の六倍に伸びている。
 昭和十五年(一九四〇)当時の時刻表を見ると、長町〜秋保温泉の運行本数は、一日十四往復で、所要時間は五十九分であった。
 昭和十八年(一九四三)前後は、戦争でどこも男手が不足。秋保電鉄でも女性が即席の運転手や車掌の仕事を担当する。特に運転の乗務員は脱線処理の大切な役目であったそうだ。

 仙台空襲で北六番丁校舎が焼けた旧制二高は、戦後三神峯の仙台陸軍幼年学校跡地に移転。昭和二十五年(一九五〇)三月東北大に統合、昭和三十三年(一九五八)東北大富沢分校が川内へ移転するまで、多くの学生が秋保電鉄を利用していた。
 長町から西多賀までの通学時間帯の電車は学生で何時も超満員、窓の外にぶら下って乗る者もいたそうである。

 この間、会社はバス事業にも乗り出し、昭和六年(一九三一)の二月、電車と同じ路線、長町〜秋保間にバスを運行させている。
 しかし、戦時中の物資の統制などで昭和十六年(一九四一)九月から営業を休止。このため電車部門は多忙を極めたそうだ。軌道は昭和十九年(一九四四)十一月十八日に地方鉄道に昇格し、社名も秋保電気鉄道に変わった。
 地方バス輸送の再開は、昭和二十四年(一九四九)四月、長町〜鈎取間であった。その後、バスは次々と路線を拡張していった。

   


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