情報提供: ディスカバーたいはく5号
 所在地: 仙台市太白区
 連絡先: 太白区まちづくり推進協議会
 関連ホームページ: http://www.city.sendai.jp/taihaku/mati/discover/index.html

18 太白区と文学者

 昭和四年十二月。東京で詩作に励んでいた石川善助は、次のような幼少追憶記を発表しています(『詩神』)。
「キネマやサーカス、見せ物の類を少少と、季節をかまわず散歩し写生することが好きです。仙台郊外の台原、古城、北山、向山などは、最も私に適した遊歩園です。」

 また昭和十一年十一月。「草枕」の一節を刻んだ詩碑建立に立ち合うために八木山に立った島崎藤村は次のように記しました(藤村全集十三巻初秋『仙臺の二日』)。
「八木山はまだ開いたばかりの新公園で、谷一つ隔てて青葉城に接した位置にある。その地勢は吉野あたりを思ひださせ、全山を山櫻で埋めたらと思はるヽやうなところであつた。導かれてある丘の上に出ると、宮城野の眺めは一方に展けて、野生の赤松なぞあちこちに生ひ茂り、ところどころに植ゑてある櫻の苗木もまだ若々しく見える。行く行くは櫻が丘と名づけられるであらうといふ新開地である。」

 そして昭和二十八年十一月には、阿部次郎のお弟子さんたちが、その思い出にふれながら次のように記しています(『昭和文学全集』月報)。
「二階の縁側の籐椅子に、明るい日ざしを浴びて先生と相対してゐるひと時は、まことに心の和む思ひである。広瀬川の流を隔てて、先生の好んで散歩の足を運ばれた愛宕山や大年寺山が望まれ、庭先には梅・桜その他数々の樹木が生ひ立つて、四季とりどりに目を楽しませてもくれる。」

 太白区の八木山から向山(愛宕山)、大年寺山につづく丘陵地は、このように、詩人や文学者の心をときめかせる場所でした。だからいま、向山や大年寺山周辺には、詩・短歌・俳句・川柳等の文学碑がたくさん見られるのでしょう。
 文学碑には郷土で育まれた豊かな詩情、作者の優れた天分、豊かな感性、心の真実を託した作品が刻まれており、深い感動を与えてくれるものとなっています。

   


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