情報提供: ディスカバーたいはく2号
 所在地: 仙台市太白区
 連絡先: 太白区まちづくり推進協議会
 関連ホームページ: http://www.city.sendai.jp/taihaku/mati/discover/index.html

14 奥州街道

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中田地区に今も残る開口部が道路に面した住まい。街道の宿駅に多く見られた
中田地区に今も残る開口部が
道路に面した住まい。街道の宿駅に多く見られた

奥州街道の宿駅だった長町。奥州街道は姿を変え、今も残る
奥州街道の宿駅だった長町。
奥州街道は姿を変え、今も残る

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江戸時代から続く主街道 今も残る宿駅の面影
 文治五年(一一八九年)、源頼朝が奥州平泉の藤原泰衡を攻撃し、滅ぼした。この合戦の時、泰衡は、国分原鞭楯(むちだて)(現在の仙台市榴岡)に陣を張っていたという。軍を三つに分けた頼朝は、その一つを自ら率い、白河の関を越えた。陸奥国を目指して攻め下った道が、現代の国道四号にほぼ沿って北上する中世の主街道・奥大道であったと考えられている。
 江戸時代に入り、主街道は奥大道から「奥州街道」へと変化した。奥大道が仙台付近から利府方面へ向かうのに対して、奥州街道は国道四号とほぼ重なりながら、仙台からさらに北へ向かい、青森県三廐まで続く。
 現在、太白区内を走る奥州街道は、中田から長町にかけて。諏訪には足軽五十六戸を配して、警備の任に当たらせていた。近くには諏訪神社がある。さらに中田町内には今も、当時の面影を伝える民家が残っている。

   


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