情報提供: ディスカバーたいはく1号
 所在地: 仙台市太白区
 連絡先: 太白区まちづくり推進協議会
 関連ホームページ: http://www.city.sendai.jp/taihaku/mati/discover/index.html

11 太白区の遺跡

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遺跡マップ
遺跡マップ

 








 人類の歴史は約四百万年もの昔、アフリカを中心に生活していた猿人が始まりという。そして約百万年前に原人が現れ、やがて旧人を経て、三万年ほど前に「新人」へと進化したといわれる。太白区では富沢遺跡がその時代のもの。約二万年前の生活や自然環境を伝える遺跡として注目を集めた。
 太白区の遺跡は、これら人類の歴史の足跡をたどるように続いている。


名取川と遺跡群
 名取川は、秋保の神室岳から流れ出て、太白区内を通り、やがて太平洋へと流れ出る。
 市内の遺跡の約三分の一、二百五十カ所近くが名取川沿いにあり、そのほとんどが太白区内に位置しているという。
 太白区は、太古より人間の暮らしの中心地だった。


山あいに築かれた縄文文化
 旧石器時代から縄文時代にかけ人類は、丘陵や川沿いのやや高いところで生活を営んでいた。丘陵や谷筋に落とし穴を掘ってけものを獲り、住居を造り、背後の森や川沿いの林で木の実を拾った。山あいから川が平地へと流れ出る谷口にあたっていたという、当時の茂庭、山田、三神峯辺りは、とても暮らしやすい土地だったのだろう。山田上ノ台遺跡や三神峯遺跡など貴重な遺跡が多数見つかっている。
 平野部でも、各所に落とし穴や集落の跡、墓、竪穴式住居跡が見つかっており、縄文時代の集落の立地の多様さがわかる。


弥生時代から古墳時代へ
 弥生時代に入り、稲作中心の生活が営まれるようになると、平地にも集落跡がいくつも見られるようになる。若林区の中在家南遺跡や高田B遺跡からの大量の農具の出土は、川が築いた豊かな大地が耕作に最適だったことを裏付ける。
 また、富沢周辺では、富沢遺跡を中心に、弥生時代から近世まで重なる水田跡が見つかり、営々と続いた耕作の歴史を物語る。
 四世紀に入ると、発達した農耕社会が生み出した、豪族と呼ばれた権力者の墳墓が築かれる。名取川周辺には、根岸にある兜塚古墳や大野田古墳群など、有力な豪族の存在を伝える前方後円墳が残されている。四郎丸地区では四世紀の方形周溝墓群や集落跡が見つかっている。
 茂庭・三神峯から富沢へ、そして根岸・大野田へ。時代とともに人々は、名取川の下流や広瀬川流域へと、次第に生活範囲を広げていった。


古代の中心・郡山
 七世紀後半、郡山に律令政府の役所が造られた。多賀城の造営とともに姿を消すまで、郡山は陸奥国の中心的存在だった。寺や大規模な建物が並び、大年寺山周辺には官人や僧侶の墓も築かれた。
 太古から現代に至る、それぞれの時代のそれぞれの文化。その源流となった名取川には数万年にわたる歴史がつづられている。
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旧石器時代〜近世・年表
旧石器時代〜近世・年表

 








   


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